独楽曲芸師の日常

漂えど沈まず・・・無名で有名な曲藝師の本音です。
MENU
ひすとりー

ひすとりー3 マラバリスタ時代

ジャグリングをはじめてからのこと。


映像やめてからジャグリングに熱中していくことになる。
たしか船の修理の仕事をしていた。
職場が遠いので朝5時半起きだった。8時から18時まで仕事して家につくのが8時ごろだっただろうか。
昼休みにテニスボールで練習して、家に帰ってから2時間練習するという生活だった。
その仕事も長く続かずいろんなバイトを転々としていた。
いつか忘れたが、野毛大道芸を見にいった帰り、ナランハの社長が駅でジャグリング道具を売っていた。
チラシ1枚のカタログを貰って帰った。商品ラインナップは、ビーンバッグ、シガーボックス、ディアボロ、クラブだったかな。
デビルスティックはなかった。なぜなら、社長がもっとも苦手な道具だったから。

当時はとにかく貧乏だった。とりあえず8mm関係の機材をすべて売った。あとテレビ局で働いてたときに貰った台本とかも。そのお金でジャグリング道具を買っていった。今でも大して変わっていない。手品道具を売ったお金がそっくり曲独楽にかわっていってる。

静岡の大道芸を見に行ったときだったろうか。金色の帽子の男に声をかけられた。マラバリスタに誘われて、練習しにいくようになった。学生ばかりのマラバリスタになじむことは無かったが、風船職人とであったのはここだから決して無駄ではなかったろう。あと、マラバリスタにいってたころ、1度だけイベントに参加した。

平日はバイトして、週末は風船を売ったりしていた。ジャグリングのショーも何度か試みたがとても人様に見せれるような出来ではなかった。

ある日池袋で風船を作る人とであった。家が近いことからそれから頻繁に一緒に練習した。
とにかく練習好きな人であっという間に抜かされたのだが、未だに芸人にはならず普通に仕事を続けている。sonota 384
とにかく芸が未熟だったのでとりあえず火をつけていた。

しばらくは平日一緒に練習して、バイトして、週末に風船を売るという生活だったが、バイトの日当以上を稼ぐ日がくる。
そうなるとバイトいくのが億劫になり次第にいかなくなる。
だからといって大道芸で順調に稼げるかというとそんなことは全くない。収入がある程度安定するまで半年ぐらいかかっただろうか。とにかくお金がなかった。池袋に行くのに重い荷物をもって歩いていっていた。
いつの間にかある程度の収入になっていった。不思議である。

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://kyokugoma.blog.fc2.com/tb.php/435-053c3118
該当の記事は見つかりませんでした。